いつの間にやら社会人

すんなりとタイトルは思い浮かぶのだが、中々本文が決まらない。

 

この事については新社会人が書きまくっている鉄板のネタであることは重々承知である。

 

 いやはや、新年度も一週間と少し過ぎて、朝の時間にも春休みを終えた高校生や中学生も見られるようになった。

 

私の会社はというと私が入社しても変わらぬ通常運転で、私の配属された部署もほとんど代わりないと思う。

 

ただ一人、ぺーぺーが入ったので、教えないといけないことがあって、業務に支障がでるのだが、それは先輩や上司に迷惑がかかるだけで私はどうしようもない。

 

早く仕事を覚えないとと思いつつ、生来のんびり屋の私なので、端から見ると急げ急げと思って空回りしているのではないだろうか。

 

とは言え、覚えることくらいは好きなので、業務を覚えつつ、過程のみ覚えるのではなく、その業務の意味や内容理解しないといけないのは中々難しい。

 

まだ、始まったばかりだが、競争相手がいないので自分なりに目標を定めて頑張ろうと思う。

 

忙しすぎる上司を横目に、いそいそとほぼ定時上がりをしてきた私は今日も雨に降られずよかったと思ってしまった。

 

ただ、何かと研修が短い気はするが、全てが実践だと前向きに考えていけば何とかなりそうだ。

第2章:治らない胃痛

旅行初日のマッキー味のクッキーを食べて、不調になった以外に体はいたって元気だった。

 

そう食欲を除いて…

 

ヨーロッパの食事が合わないとか嫌いとかそういったものを抜きにしても、胃が食べ物を拒否していたのだ。

 

食べるとまた吐くのではないか、吐きたくないから食べない、食欲もほとんどない。

 

1日目の昼食もレストランで出された美味しそうな料理の数々には手をだせず、最初の冷製スープとサラダで限界だった。

 

その後も調子は一進一退をしながら良くなりそうな兆しが見え始めたのだ。

 

確か、3日目か4日目…大分状態は好転しているように思えた。

 

 そこで、調子に乗って、夕食にお酒を飲んだ。

ピッチャーででてきたサングリアを飲んだ。

 

友達は沢山飲んでいたが、彼はというと、

ほろ酔い気分になりつつも、お腹の変化を捉えていた。

 

次の日、異常はなく快調に向かっていた。

 

また、そこで彼は油断した。

調子にのってビールを飲んだ。

 

確実にやられた…

 

寝る前から悪酔いの雰囲気がした。

 

 何度も目が覚め、大便までしてしまった。

 

朝起きるとやはり、気分が悪い…

 

 だが、胃以外は正常だから端から見ると

「こいつ、食べ物残してばっかりやん。もしかして好き嫌いあるのに海外来たんちゃう?」

みたいな声が聞こえてきそうだった。

プロローグ:トイレジャック

その時、彼はトイレで蹲っていた。

 

遡ること約1~2時間前…

 

遅めの晩御飯の前に軽食を挟むため買ったお菓子。

 

日本のそれとは全く異なる風味がする危険なものも数多く存在する。

 

彼の友人である太郎(仮名)が買ったお菓子はまるで、マッキー(油性の太ペン)の臭いが漂う代物。

 

間違いなく危険なもので、完璧に外れのものである。

 

無論、食べなければよかった話だ。

 

そんなものを調子に乗って、食べてしまった彼が悪いのだ。

 

彼は外国のお菓子と甘いピーチティーにやられたのだ。

 

話を冒頭の場面へ戻そう。

 

彼はひたすら吐き気と戦っていた。

 

友人である太郎と次郎(仮名)も心配していた。

 

飛行機の晩御飯が出て食べ終わるまでは…

 

トイレに籠って吐くか吐かないかギリギリのところで死闘を繰り広げていた彼と違って、

友人たちは飯を食ったら眠くなって寝ていた。

 

彼はそんなことに落ち込む余裕すらなくトイレに籠った。

 

何回トイレにいったのか覚えていないくらい席とトイレの往復をした。

 

食事が出た際には約40分くらいトイレに占拠した。

 

 

機内のトイレをほとんどジャックしていたと言われても過言ではないくらいに…

 

ここから海外の旅の幕が開けた。

 

続く…

 

旅情気分に浸りつつも…

旅行とは、普段の生活と全く違う「非日常」を味わえる数少ない出来事である。

 

旅行先には私たちの考えていたシナリオ、スケジュール通りに進むこともあれば、中々そうもいかないこともある。

 

 またその日程の間、仲間と時間を共にするのだが、一人になりたいときが少しばかりある。

 

昔からの馴染みで旅にでると、彼らの良し悪しの面、双方見ることになってしまう。

 

腐れ縁といっても、過言ではない友人たちなのだが、そんな私たちの間柄にも、やはり気遣いやパーソナルスペースへの配慮は必要なのではないだろうか。

 

普段では、そんな心遣いをしなくとも一日中いるわけではないのであまり苦痛に感じないが、それが二日、三日となると少し状況は変わってくる。

 

また、一人一人で話をすると面倒ではなくても、複数人数になるとどうしても関係性が面倒になってしまうこともある。

 

そこでみんなそれぞれの我慢が必要になってきて、居心地が悪くなってしまうという可能性を秘めている。

 

旅行にまで来て、雰囲気が悪くなってしまうのはまずいことなのだが…

 

お金のことや、嗜好品のこと、好きな人のタイプのことなど様々な話や場面で垣間見れるそれぞれの性格や本音、

 

それを後々言い合うことが少しばかり楽しいなと思う週末の夜である。

 

話は逸れるが、面白そうな読み物を見つけた。

 

 

 

あくまで相関関係なので、全員に当てはまるわけでも、原因と結果でもないということに注意していただく必要はあり。

 

最後に お金がないと言っていた喫煙者の友人にはこの事を知ってもらって、タバコを卒業してもらえたらなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てか、アクセス少なないっ

 

 

 もうちょいがんばろ

 

 

 

 

サボり癖と催促

いよいよ、はてなブログから何か書きませんかと催促のメールが来た。

 

書きたいアンテナが、錆び付いてきて書けなくなってきているところに追い討ちである。

 

さあて、何書こうか…

 

観に行った映画の話、ウイイレの話、旅行の話などなど書くことはなかなかありそうだ。

 

何はともあれ久しぶりに書くのだからのんびりと書いていこう。

 

 

ところで最後の学生だから、バイトや遊びで忙しいの?

いえいえ、専ら家に居ますよ。

さながら、有給を丸々消化しているようなサラリーマン、もしくは毎日が土日のようななかで家にいるサラリーマンみたいに…

 

そんな日々が続くと家族の目も厳しくなってくる。

いつまで家にいるの?

まだバイトに行かないの?

みたいな怖い目で見られている気がするのだ。

 

そして、卒業旅行も控えている。

皆、羽振りよくお金を使うのだろう。

この場において、私が「お金ないから」なんて言ってしまえば、雰囲気は最悪…

忍たまのドケチきり丸でも、旅行では奮発するだろう。

 

まぁ、旅行のお金は何とかなりそうだ。

 

3月は今以上にかつかつな生活を覚悟せねばならないかもしれない。

 

 

 

ブログの書き方忘れてもうた。

サボったら面倒になって駄目なもんですね。

 

取り敢えずこんな感じでぼちぼちやっていこうかな。

枕は必要ですか

あなたはmy枕がないと寝付けませんか?

 

それとも取り敢えず枕がないと寝られないですか?

 

私は枕を気にせずどこでも寝ることができる。

むしろ枕がある方が邪魔で寝られない。

 

体にはあまり良くないらしいが…

 

今日の話は「枕」ではなく、話の「まくら」である。

 

ブログで書き綴っていても、初っぱなから書きたいことをつらつらと書く時もあれば、ワンクッション置いて本題に入る時もある。

 

前者の場合は頭から書きたいことが溢れて、途中で纏まりが無くなって竜頭蛇尾のような文章になってしまうのかなと自分で思うときがある。

 

一方後者の場合、まくらを入れることで私なりに始まりで、すっと文章がお腹のなかに落ちてくる感じで読みやすくなると思っている。

 

他人の文章を読んでいる時も同じように思うときが多い。

 

えっ、何の話なん?続きが気になる!

ふんふん、まくらはそこに通じてたのか!

のように。

 

 

主題に入る前にまくらを挟むことによって、堅苦しい内容でも、普段の何気ない内容でも読者に興味を惹くことができると考えられる。

 

話におけるまくらは必要…かな

 

寝具における枕は個人差があるので一概には言えません。

 

でも、まくらを探すのがちょっと難しいんだよなぁ…

 

あと、まくらの工夫も必要だよな。

 

 

あの日から…

阪神淡路大震災から22年の月日が経過した。

 

私は辛うじて阪神淡路大震災を経験しているが、覚えていない。

 

何せ生後半年の出来事だったから、当時の事は小学生や、中学生の時に沢山伝え聞いた。

 

その出来事を伝え聞いた頃は、正直に言うとこの震災から何を忘れてはいけないのか…

人が沢山亡くなったことなのか、防災のことなのか、情報量が多過ぎてよく理解できていなかった。

 

今でもこの出来事を忘れてはならないと思いつつも、私たちに何ができるのか、何をしていけばよいのか、はっきりと分からない。

 

 

 

神戸市に住む半数近くの市民は震災を経験していない世代になっているそうだ。

 

人々の記憶から薄れていくことは、時の流れからして仕方のないことであるとは思う。

 

しかし、それを時の流れだからといってそのまま風化させているのでは駄目なのだろう。

 

あの震災から何の教訓を得たのか、どうすれば被害を少なくできたのだろうか、日頃の備えはどうすべきかといったことを次の世代に丁寧に伝承していかなければならない。

 

もちろん、生活していればいつか災害に直面するかもしれない。未然に防ぐことの難しい地震ではどのように対応したらよいのだろうか。

 

日頃から家族で話し合ってみるのもひとつの方法かもしれない。

 

 

それにしても月日の経つ早いこと、はやいこと。