最近、よく耳にする「〇〇がい」
例えば、
生きがい
働きがい
やりがい
…帆立貝は、違うと。
私自身があまり主体性を持って生きてきていないからか、これらの言葉に刺さることはあっても、どんなことなのか自分ごととして捉えられていない。
だからこそ困っているのかもしれない。
戸惑っているのかもしれない。
何に生きがいを見出すのか。
どこに働きがいを認めるのか。
仕事かプライベートか、その他にやりがいを覚えるのか。
私はまだそのどれも見つけられていないし、味わえていないのかもしれない。
どうしたらいいんだろう。
いつも崖に集まってるペンギンだとしたら、私は最後方でまだエサ探さんでも大丈夫でしょと余裕をこいて、結局は皆の狩りが終わりそうな頃にオドオドしてるのだ。
えー。まだ魚獲ってないよ。
どうしよー、食わなくてもいける?いけるやつでしょ。一日くらい食事抜いても大丈夫よ。
なんて虚勢張って後々、痛く悔いる事になる。
いわゆる、ゆでガエルのような状態だ。
大学までは皆と同じような轍に沿って歩んできたが社会人になると、轍は無くなり眼前に広がるのは草原か砂漠かはたまた高山か。先人の歩みはないのだ。自らの人生は自分で切り開いていくしかない。
頭では分かっている。しかし、動くまで持っていけない。
そんな中で「〇〇がい」なんて得られるのか。
そろそろ自らの殻を破って一歩、踏み出す時なのかもしれない。