夏休み

今年の夏はいかがお過ごしでしょうか。

 

まだ、夏休みじゃない方も、

すでに夏休みの方も、

夏休み?そんなもんないわって方も

夏休みと聞くと、テンション上がりませんか?

 

とりわけ大学生の方はおよそ2ヵ月の長期休み。

 

カレンダーには予定がぎっしり、詰まっていることでしょう。

 

私の場合、いつも昼前に起きてグータラしてた。

そんな記憶しかない夏休みですが、いま、思い返すと、勿体ないと感じますが、そのときはその時で楽しんでいたものです。

 

無論、長期休暇は予定も立てず、暇を謳歌しすぎて、あまり好きではなかった私ですが、

社会人になってしまうと、何故か夏休みが恋しく感じてしまいます。

 

学生時代は夏休みの宿題をいついつまでに終わらせるとか意気込みつつ、

結局終わるのは終盤戦だった私ですが、終盤まで持ち込んで、嫌々ながら机に向かったのも良い思い出かもしれません。

 

大学生にもなると宿題もなくなり、バイトと家の往復となるので、

「あー、バイトさえなければなぁー」とか思いつつ昼に起きて用意していたものです。

 

レンタカーで天橋立まで下道で行くなどという何だかんだで学生らしいこともしましたが、

社会人だとそうも行かないので、何とかならないものでしょうか?

 

夏至は過ぎて、少しずつ日は短くなりますが、

まだまだ夏は続きます。

 

暑い日もこれからが本番!

 

 

大雨で大変な地域もあり、夏休みどころでない方々もいらっしゃるかとは思いますが、

どうか暑さや環境にやられず、こまめな水分と休みをとって、夏を乗り気ってください。

 

 

これからの夏を少しでも楽しめるよう新人らしく仕事、頑張りますかね。

仕事のやりがい…

仕事って何したらいいの?

 

それって、ほんとに私でないとだめなの?

 

パートさんにやってもらえるようなことでないの?(居ないけど)

 

結論から言うと、仕事≒雑用って感じでしかない。

 

バイトでもできるじゃん。

 

むしろ学生バイトの長期バージョンにも思えてくる。

 

暇なときはひたすらサボってないかのように振る舞い、

 

時に、睡魔と戦い、トイレに逃げ込み、時にニュースサイトをちらほら斜め読み、タイピングの練習すらしてるかも。

 

これって仕事かねぇ。

 

新人にはさせるものがないからかしら。

 

確かに楽なのは楽だが、思っていた社会人ってこうなの?と思うほど。

 

かといって、先輩社員や上司のように残業はお断りだし、することないし。

 

やりがいや目標をどう持っていればよいのか分からない。

 

モチベーションも上がらない。

 

むしろ土日にモチベーションが上がってる。

 

ただ、疲れが溜まりやすいこの暑さ。

 

週末の疲れが月曜にでてる。

 

不満や愚痴はこぼれてくるけど、転職しようにも、スキルも経験もない。

 

これがあまりに続くと考えて、行動してみよう。

 

何のために働くのか。

 

 私にとってのやりがいや目標を見つけられなければ、違う職も…

 

 あーぁ。お腹すいた。

さ、今日も帰りますか。

 

 

1年後

来年の今ごろは一体何をしているんだろうか?

 

営業として、色々な企業を訪問して売上の成績を伸ばしているのだろうか。

 

泣かず飛ばずで愛想をつかされているのだろうか。

 

思い返してみると、決して楽な就職活動ではなく、様々な経験をしたわけだが、

 

いざ、働きだしてみると社会人がどのようにしてお金を頂いているのかわかる部分も増えたが、

見えなくて良かった部分を見なければならないことも増えた。

 

父親は私にお金のことで心配や苦労をかけたことはなく、私も当然のことのように思っていた。

 

ただ、そんなことは当たり前でもなく、有り難く与えてもらっているものだと理解したのは割と最近のことだ。

 

社会人になるとお金にシビアになる。

 

特に社内や、客先を見るとコストダウンや節約、倹約の雰囲気が漂う。

 

どこまで線引きをするのか、そこも大切なのではないだろうか。

 

物を買い叩くことやセールやディスカウントストアでしか物を買わないとデフレはいつまでも続いていく。

 

良いものを適正価格で購入することが一番望ましい。

 

この安けりゃ良しという風潮は自らで少しずつ首を絞めていることの裏返しかもしれない。

 

そういう私は切符すら定価で買わないな…

 

節約してなんぼ。

 

1年後の話から逸れに逸れてしまった。

1年後には仕事の楽しみが分かってるといいなぁ。

 

ダメだったら資格なりを取っておこうか。

社会人て何だかんだで大変

学生時代なら、合わないタイプの人とは関わらない、もしくは最低限の付き合いで済むけれど、社会人になるとそうもいくまい。

 

ましてや小企業に勤める私は社員の好き嫌いをもろに感じながら仕事をしている。

 

 今日はその日頃、溜まりに溜まった愚痴やストレスを発散してもらうべく、焼き肉を食べに行った。

 

 結論から言うと、ストレスの溜めすぎはダメ絶対!!

 

それくらいだろうか。

私は入社して3ヶ月を迎えるからまだ社内のことを全然把握していないが、誰がどうとか、AとCの仲が最悪とか正直あまり興味がない。

 

確かに円滑に社内を回すためには関係者の情報は必要不可欠かもしれないが、

そんな深くのことを知る前に仕事の1つや2つを覚えねばと思う所存である。

 

まぁ、愚痴を聞いててその人が大変なのは何となく分かるが、

そこまで溜まる理由は何なのだろうか?

→人より繊細

これは大いにあり得る。傷つきやすいもしくは要らぬところまで目が行ってしまう。

 

→他に話す人がいない。

その可能性は低い。ただ、職場においてその話をできる人が少ないのはあるのかもしれない。

 

 それぞれの我慢や憤懣やるかたないことがたまりに溜まった結果、会社で爆発されるより愚痴で溢してもらうほうがまだましなのかもしれない。

 

でも、もし板挟みなら余計大変だよね。

なんて思いつつそんな軋轢に揉まれてない私は幸せなのかもしれない。

 

われ、そこに在り

今日はとにかく暇だった。

 

することがないとはここまで苦痛か

というくらいに無の時間が流れていた。

 

それでなくとも大概のサラリーマンが憂鬱の月曜日。

 

自分でもこれ、何の時間なんと思うほど仕事がなかった。

 

ときたま出た電話においては企業名が聞き取れないし、

取り敢えず聞き直して嫌な声は聞こえないので、それが唯一の救いだった。

 

これほど暇なときはこれでもかと言うほどパソコンとにらめっこしている。

 

そうしても時間は経たないし、目だけが疲労を訴えてくる。

 

これではまるで「人在」ではなかろうか。

 

われ、ここに在り。

 

しかし、仕事はない。

 

私がそこにいるだけである。

 

仕事も程々に忙しい方が楽しい。

 

疲労の度合いも違う気がする。

 

心地よい疲労と惰性的な疲労。

 

同じ時間、働いているのに全然違う。

 

 これから暇なとき、何しようか…

 

就活の振り返りとその後

これは就活が終わらず、少しばかりの不安と焦り、不甲斐なさが入り交じった時に書いた話です。

 

当時は就活の持ち玉も少なくなってきて、選考結果も待っている時期でもあり、さらに周りもぼちぼち就職先が決まり始めたころだった。

 

今となっては、現在働いている企業に勤めるなんて全く考えもしていなかったし、企業の存在すら知らなかった。

 

そう思うと、当時書いていた文章も一理あるのかもしれない。

 

「結果待ちの状況で日々帳を書く気にあまりなれず、ぼんやりしていたらいつの間にやら7月に入っていた。もう内定を貰った友人も複数いる中で私だけが取り残されたような気持ちも芽生え始めている。」

 

この文章だけで苦戦していた就活の情景が脳裏をかすめていく。

 

「そんなことはもとより、電車の車内で私はぼんやりと人生は片道切符の電車のようだと考えた。単線の道のりではなく、人生の転機には、何本もの分かれ道が存在するターミナル駅のようだが、戻ることはできない。」

 

我ながら臭いことを書いているものだが、あながち誤ってもいないと思う。

 

「目的地は死ぬまで分からない。端から見ると成功者や優秀な人の人生は輝いているかもしれないが、実際には脱線あり、急勾配ありの試練続きの人生の道のりなのかもしれない。」

 

楽な道のりは1つもないのかもしれない。

寧ろ就職した今後の方が、分かれ道を選択することになるかもしれない。

 

「電車の場合は乗るものを違わない限り目的地に着くが、人生はそうも行かず、全く関係ない場所に到着するかもしれないし、遠回りして着くかもしれない。」

 

だからこそ人生は楽しいことがあり、辛いこと、悔しいこと悲しいこともあるのだろう。

 

その時に選んだ道が成否を分けるのではない。

 

その道を選んだ後の行動が成否につながるのではないだろうか。

 

就活は、今思うともっと楽しめば良かった。

 

働く場所を選ぶのだ。ただ、一生に一度のものではない、選択を誤ったのならまた選択し直したら良いのでは。

 

今の夢は新たな収入源だ。

 

大丈夫か、この新人は(笑)

ウィンカー音と沈黙、そして距離感

なんてことを思いつつ、上司と乗る車内で、お互いが沈黙を破ることはなかった。

 

静謐な空間のなか、ウィンカーだけが、ある一定のリズムを刻んで信号待ちをしていた。

 

私は沈黙が嫌いなわけではない。

 

むしろ好きな部類に入るかもしれない。

 

ただ、どこまで踏み込んでよい関係なのか分からない時には、敢えて私から話のネタを振るようなことはしない。

 

そう、仲良しこよしではダメなのだ。

 

何せ相手は上司。

 

距離感を掴みきれない。

 

そんな具合がちょうど良いのではないだろうか。

 

近づきすぎず、遠すぎず。

 

ただ、10歳程年上の方と友人関係になりたい気持ちもある。

 

利害関係がなく、ある程度腹を割って話せる間柄に。

 

どうしたらそのような世代の違う方と友人になれるのだろうか。

 

価値観や考え、人生経験も異なる様々な人と色々な話をしてみたい。

 

話が逸れていったが、車内での沈黙、好きかそれとも嫌いかどちらにあてはまる?