外からの目と内からの目

訪日外国人の目的に着いていくテレビ番組はここ数年で有名になった。

 

彼らが日本に来てしたいことを通じて、自国の文化や伝統を日本人が再認識したり、初めて知ることがたまにある。

 

 

大晦日やお正月もそんな伝統的な文化のひとつかもしれない。

 

凧揚げや羽子板をしてる子どもなんてめっきり見かけないけど…

 

 

 

 年末年始に日本へ来る外国人は場所は違えど目的は恐らく「日本の年越しを体験してみたい」ということなのではないだろうか。

 

その好奇心からわざわざ日本へ来て、都会の年越しカウントダウンから地方のお寺の初詣まで日本各地を巡っているのかもしれない。

 

日本人以上に日本の事を知っている外国人がいても何ら不思議ではない。

 

彼らにとって、素晴らしく映る文化や伝統が、我々の生活のなかでは煩わしく面倒なものに感じて廃れてしまうこともある。

 

しかし、この伝統を受け継いでいこうとか文化の保持していこうとかそういう機運や盛り上がりにはあまりならないこともしばしばあるかも。

 

 だから、訪日外国人と彼らを取材するメディアを通して日本の良さ再発見みたいな風潮になるのかもしれない。

 

それで日本てやっぱりいい国でしょ!みたいな…

 

少し違う気がするけど、初めて知る日本のことや再認識させられることは悪くないなと思う。

 

そして、これからも将来世代に伝統や文化を受け継いでいけるような社会にしていく?なっていく?といいなぁと思った、正月明けの連休の中日である。

 

 

 

フィクションの注釈と一年の計

明けましておめでとうございます。

2017年最初に書きたいことは…

 

ドラマや小説、映画やアニメに至るまで日における創作物の大半には以下のような注釈が付いて回ることが多い。

 

「この物語はフィクションであり、実際の人物や組織・団体、名称が出てくる場合がございますが、実在しているものとは全く関係ございません。」

 

このような注釈をつけることによって、

予め映像や小説の内容と現実の人物や、組織とのリンク付けをしないで下さいといった、ある種の注意書きの面が主かもしれないが、創作ならではの楽しみをしてもらうための配慮という側面もあるのかもしれない。

 

そんな邪推をしつつ、もしあなた自身に注釈をつけるとすればどのようなことを書くか?

 例えば、

 

 広い視野で物事を見ています。

 

常に冷静沈着、自分の事以外は!

 

取り扱い危険!どこに怒りの地雷があるか不明!!

 

などの最早、注釈というかキャッチコピーというか、曖昧なものになってしまった。

 

因みに私だと一番最後の注釈があってるんではないか、

 

…自虐的ではなく、

 

 

 

 でも、私自身には沸点がわかっているんですけど、

それが他人には上手く伝えられなくて、

何だかそのもどかしさも手伝って、

さらに周りの雰囲気まで悪くしてしまう私がいて、

結局私の本心と異なるところが独り歩きしてしまうことがこれまでにも少なくなかったと思っています。

 

 周りの気遣いと私の本心、そして、私の周りへの配慮のなさから、本心を隠してしまう、即ち虚心することへの楽さから人任せにしてしまう、自らの無責任な態度、

そういった悪循環に陥ってたのかもしれません。

 

わがままを通すことでも、

人に建前だけで話すことでもなく、

自らの思いを丁寧に相手に分かる言葉で伝えられるようにしたい一年の始まりです。

 

長々となりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

2016年の振り返り

今年はどんな一年だっただろうか?

 

日本全体では波の激しい一年のような気がする。

 

熊本の震災や大規模な火災、そして巨大な陥没事故など「災い」といったことも多かった。

 

 

他にもオリンピックで劇的な試合でのメダル獲得があったり、マイナス金利の導入があったり、

 

 

世界に目を向けると、イギリスではEU離脱が決まったり、

アメリカでは泡沫候補がまさかの大統領になったりと

 

世界全体でも激動で、様々な意味において歴史的な一年だった。

 

 

 

 

私の一年はどうだったのか…

 

半年に及ぶ?就職活動が主だったイベントだった。

 

思い返すと、面接に対する不安や面接官の聞いていること、私という人となりが十分伝えられないもどかしさなど様々なことを感じ、工夫していった?就活だった…かな

 

内定をもらった企業に対しても本当にここでよいのか、他にもいい企業があるかもとか、色々なことが頭をよぎり、結果的には最初に志望していた業種ではない全く異なる業界に進むことにした。

 

これから社会人になって、右往左往したり、会社に迷惑をかけることが沢山あると思うが、失敗を恐れず挑戦しよう。

 

失敗して当たり前、そのケツは上司に拭いてもらう位にアタックしよう。

 

 

 

他にもバイトでは、物流倉庫で歩き回り、野球場や競技場での芝カスの掃き、年末にかけては年賀はがきをひたすら売るものがあった。

 

年賀はがきのバイトにおいても様々な人がいると感じた。

 

家族でも考え方が異なるのだから、他人だともっと違うこともあれば、同世代で共感できることもあり、世代も性別も違うけれど同じ価値観、新たな価値観を共有することもあるのだと知ることができた。

 

最後に、利害ではない人間関係を築く、即ち学生における友人を社会人になっても大切にする。

 

ビジネスを介した関係だとそれが前提にあるので、学生時代の本音で話や議論を交わす、時には馬鹿なこともできる友達は貴重だと思う。

 

私も友人の数は多くないが、彼らとの関係をこれからも濃密にして、会えば下らない話で盛り上がる間柄でいたい。

 

さぁ、来年はいよいよ社会人!

 

不安ですが、頑張りましょう!!!

 

近視と遠視のものの見方

遠くが見えないのが

近視だっけ、遠視だっけ。

 

あと、老眼は近くが見えないから

遠視だっけ、近視だっけ、

 

因みに近視は近くが見える、即ち遠くが見えない。

 

遠視はその対となるので、近くが見えない。

 

 

 

 

 

 

 

…ただ、今日の話は目の見え方の話ではない。

 

時間軸、短期的な将来像、中長期的な将来像における見方だ。

 

日頃の生活では、ついつい来週のテストどうしようかとか、

 

今月のお小遣いピンチだから少し増やしてもらおうとか、

 

課題の締め切りが明日までとか、

 

 

そういった短期的な視点で物事を捉えてしまいがちな場面も少なくないかと。

 

 

 では、中長期的な視点とは何だろう?

 例えば中高生だと、入試で志望校に合格するために必要な時間数の計画とか、

 

貯金の目標額と達成に必要な月日、資格取得に向けた勉強時間の逆算とか、

 

 そのようなところか

 

 

いざ目標を立てて実行するのは難しい。

 

今日はもういいや、

 

明日は急な予定が入ったから止めよう、

 

来週も新しい案件が出来たからなどなど

 

その目標を妨害(?)、はたまた邪魔(?)してくる誘惑などがそこいらに沢山転がっている。

 

目標が一年、また一年と遠ざかって、霞んでいく…

 

計画も立てただけで計画倒れしてしまう…

 

全員が全員、イチローみたいに意志が強い訳ではない。

 

そりゃあ、立てた目標を達成したいと思う気持ちが初志貫徹できたらよいが、それが変わることもままある。

 

この文章も書き始めと、書いてる途中で書きたいことが変容して纏まりが無くなりつつある。

 

ただ、日々の仕事や勉強、生活に追われるだけでなく、

 

ほんの少し背伸びして、

先の目標を立てて、

余裕のあるスケジュールでそれを達成する。

 

イチローの言葉を借りるならば、

「頑張るとしたら自分の限界。その時に、自分の中でもう少しだけ頑張ってみる。」

目標を立てた上で、これをやれたら達成は早まるかもなぁ。

 

イチローって自らの言葉を紡ぐ、深い人だ。

 

 

 

社会人になって、計画も言葉もうまく考えられる人になりたい!

年末年始という宴

どこもかしこも人だらけ。

 

この日のために財布の紐をしっかり絞めて、

 

クリスマスにはケーキやプレゼントを買い、

 

歳末セールで掘り出し物をゲットして、

 

お正月にはデパートで買ったおせちを食べ、

 

初売りではもらったお年玉でセールの欲しいものに狙いを定め、一気に奮発する。

 

それ以外にはひたすら節約、倹約。

 

人々が新しい年の狭間に浮かれている。

 

一体、この一週間程でいくらのお金が動くのか?

 

この宴がずっと続けば日本の不況も吹っ飛ぶんじゃないか

 

…なんて思ってみる。

 

宴はずっとは続かない。

 

この数日の狂騒…ってほどでもないか

でもこのお祭り騒ぎのために人々は日々の生活を頑張っている、

そんな気がする。

 

もう少し今回の宴は続くみたい?!

 

 

 

お金の使い方

街を歩いていると年末らしさが肌身に感じられる。

 

忙しいそうに足早に歩く人々や、クリスマスツリー、セールなど様々なものから年の瀬は漂ってくる。

 

因みに本日15日、給料日という方や年金受けとりの日という方もいて、少し地元の町も活気づいている。

 

皆待ちに待った15日だ

 

おっと、15日が給料日ではない方にはなんら関係のない1日である。

 

私の今の給料日は24日、実に中途半端な日である。

 

今月に至っては肝心の24日は日曜日、前日の23日も祝日、即ち22日に給料が振り込まれるのだ。

 

まぁ、25日に給料日という方もいると思うので今月はその方と同じく早めに貰える有り難みを感じられる。

 

ではあなたたちは給料を何のために使うのか?

 

 勿論、生活費、食費、家賃、光熱費などなど生きていくために使うお金ももちろんある。

 

他にも学費、塾代、などの教育費や移動に使う交通費などもかかる。

 

そして、息抜きの趣味や美容、投資といったことにも使われているだろう。

 

給料で賄いきれないときは?

それは我慢?

貯金してからのお楽しみ!

 

いやいや、借金でしょ!

楽しんでから返せば何とかなるだろう!

 

こんな後者の考え方をされる方は少ないだろうが、大きな買い物、例えば住居を購入する場合はローンを組んで返していくだろう。

 

お金って不思議

 

使い方次第ですぐに無くなったり、たまに増えたり、中々その本質を知る人はいない…

 

 

 

 

きっかけ

私は声に出せないもどかしさを残すために、ノートに綴る事にした。

 

自分にとって日々の出来事で感じたこと、思い浮かんだことを書き連ねるために始めたのだった。

 

 

でも、月日が流れて書かなくなることが増えて、そのノートが就活のメモ帳のような役割になっていった。

 

それならばとノートからスマホに代えてみてもいいのかなと…

 

他にもこれなら一回書いたものを、さらに推敲することも可能だからという意味合いもある。

 

 

人前で必ずしも上手く言葉を伝えられないことがあるけれども、

 

私はその場において伝えたい言葉が頭のなかでこんがらがってほどけない、

または最適な言葉が見つからない状態になっているのではないか。

 

書くことによって、頭のなかを整理整頓して私の言葉で伝えられるようにしていきたい。

 

 

これからは少し、ノートの振り返りや最近感じたことを綴っていこうかな!