われ、そこに在り

今日はとにかく暇だった。

 

することがないとはここまで苦痛か

というくらいに無の時間が流れていた。

 

それでなくとも大概のサラリーマンが憂鬱の月曜日。

 

自分でもこれ、何の時間なんと思うほど仕事がなかった。

 

ときたま出た電話においては企業名が聞き取れないし、

取り敢えず聞き直して嫌な声は聞こえないので、それが唯一の救いだった。

 

これほど暇なときはこれでもかと言うほどパソコンとにらめっこしている。

 

そうしても時間は経たないし、目だけが疲労を訴えてくる。

 

これではまるで「人在」ではなかろうか。

 

われ、ここに在り。

 

しかし、仕事はない。

 

私がそこにいるだけである。

 

仕事も程々に忙しい方が楽しい。

 

疲労の度合いも違う気がする。

 

心地よい疲労と惰性的な疲労。

 

同じ時間、働いているのに全然違う。

 

 これから暇なとき、何しようか…