セミのシャワー

朝から元気なセミの鳴き声を聞いて、出社して、

夕方にはこれまたセミの鳴き声を聞いて帰宅する。

 

このセミの大合唱を勝手にシャワーと名付けて楽しんでいる。

 

ただ、セミの鳴き声にも朝と夕方では違って聞こえてくる。

 

朝は夜明けを今か今かと待ちわびたセミ達が元気よく鳴き、

夕方は太陽の別れを惜しむようにヒグラシが寂しそうに鳴いている。

 

こんな風に思うのは私だけだろうか。

 

恐らく、朝にもヒグラシは鳴いていて、

ミンミンゼミも夕方にも鳴いている。

 

ただ、その鳴き声の比率と私の勝手な思い入れによって、朝はミンミンゼミとアブラゼミ

 

夕方はヒグラシといった具合に決めてしまっているのかもしれない。

 

因みに大学時代を過ごした滋賀県にはあまり、ミンミンゼミの鳴き声を聞かず、

アブラゼミクマゼミの鳴き声ばかりだったと記憶している。

 

夏の風物詩である、セミひとつ取ってみても思うことや考えることは様々で、

夏が来たと思える人もいれば、また嫌な季節が巡ってきたなと思う人もいるはずだ。

 

お盆を迎えて、朝夕は幾分か過ごしやすくなり、次の季節へと移ろいの端々が感じ取れる今日この頃、如何お過ごしでしょうか。

 

土地も変われば、気候も変わると思う。

家族旅行で、早秋を感じてきた私でございます。

言葉の伝え方、伝わり方

私の言いたかったことは上手く伝わらず、

相手の言いたかったことは私に正確には伝わらなかった。

 

その時の心情や状況、当人の言葉の意図や理解、様々なものが複雑に絡まり言葉の真意が異なって伝わってしまっているのかもしれない。

 

言葉の選び方もまた難しい。

私としては良い意味で使ったつもりでも、相手にとっては不快にとられる場合もある。逆もまた然り。

 

文章の場合、感情が伝わりにくく、話の場合、考えよりも感覚の方で伝えているのかもしれない。

 

しかし、それらよりも一番伝わらないのは、沈黙であると思う。

 

相手のことを推し量っていると言えば聞こえは良いかもしれないが、一方では無言で何も伝わっていないし、不安にもさせているかもしれない。

 

伝えたいことは伝わらなくて、伝えないことは悪いように伝わって、少しずつ不協和音が大きくなるのだ。

 

本音を聞き漏らしてはいないだろうか。

 

本音を言いそびれてはないだろうか。

 

積もった言いたいことが交わらず、どこか明後日の方向へ進んでしまった。

 

 

 言葉は奥深い、そして少し難しい。

 

人の数だけ、解釈の仕方があるのだから。

 

それでも言葉を交わすことは美しく、魅力的である。

 

夏休み

今年の夏はいかがお過ごしでしょうか。

 

まだ、夏休みじゃない方も、

すでに夏休みの方も、

夏休み?そんなもんないわって方も

夏休みと聞くと、テンション上がりませんか?

 

とりわけ大学生の方はおよそ2ヵ月の長期休み。

 

カレンダーには予定がぎっしり、詰まっていることでしょう。

 

私の場合、いつも昼前に起きてグータラしてた。

そんな記憶しかない夏休みですが、いま、思い返すと、勿体ないと感じますが、そのときはその時で楽しんでいたものです。

 

無論、長期休暇は予定も立てず、暇を謳歌しすぎて、あまり好きではなかった私ですが、

社会人になってしまうと、何故か夏休みが恋しく感じてしまいます。

 

学生時代は夏休みの宿題をいついつまでに終わらせるとか意気込みつつ、

結局終わるのは終盤戦だった私ですが、終盤まで持ち込んで、嫌々ながら机に向かったのも良い思い出かもしれません。

 

大学生にもなると宿題もなくなり、バイトと家の往復となるので、

「あー、バイトさえなければなぁー」とか思いつつ昼に起きて用意していたものです。

 

レンタカーで天橋立まで下道で行くなどという何だかんだで学生らしいこともしましたが、

社会人だとそうも行かないので、何とかならないものでしょうか?

 

夏至は過ぎて、少しずつ日は短くなりますが、

まだまだ夏は続きます。

 

暑い日もこれからが本番!

 

 

大雨で大変な地域もあり、夏休みどころでない方々もいらっしゃるかとは思いますが、

どうか暑さや環境にやられず、こまめな水分と休みをとって、夏を乗り気ってください。

 

 

これからの夏を少しでも楽しめるよう新人らしく仕事、頑張りますかね。

仕事のやりがい…

仕事って何したらいいの?

 

それって、ほんとに私でないとだめなの?

 

パートさんにやってもらえるようなことでないの?(居ないけど)

 

結論から言うと、仕事≒雑用って感じでしかない。

 

バイトでもできるじゃん。

 

むしろ学生バイトの長期バージョンにも思えてくる。

 

暇なときはひたすらサボってないかのように振る舞い、

 

時に、睡魔と戦い、トイレに逃げ込み、時にニュースサイトをちらほら斜め読み、タイピングの練習すらしてるかも。

 

これって仕事かねぇ。

 

新人にはさせるものがないからかしら。

 

確かに楽なのは楽だが、思っていた社会人ってこうなの?と思うほど。

 

かといって、先輩社員や上司のように残業はお断りだし、することないし。

 

やりがいや目標をどう持っていればよいのか分からない。

 

モチベーションも上がらない。

 

むしろ土日にモチベーションが上がってる。

 

ただ、疲れが溜まりやすいこの暑さ。

 

週末の疲れが月曜にでてる。

 

不満や愚痴はこぼれてくるけど、転職しようにも、スキルも経験もない。

 

これがあまりに続くと考えて、行動してみよう。

 

何のために働くのか。

 

 私にとってのやりがいや目標を見つけられなければ、違う職も…

 

 あーぁ。お腹すいた。

さ、今日も帰りますか。

 

 

1年後

来年の今ごろは一体何をしているんだろうか?

 

営業として、色々な企業を訪問して売上の成績を伸ばしているのだろうか。

 

泣かず飛ばずで愛想をつかされているのだろうか。

 

思い返してみると、決して楽な就職活動ではなく、様々な経験をしたわけだが、

 

いざ、働きだしてみると社会人がどのようにしてお金を頂いているのかわかる部分も増えたが、

見えなくて良かった部分を見なければならないことも増えた。

 

父親は私にお金のことで心配や苦労をかけたことはなく、私も当然のことのように思っていた。

 

ただ、そんなことは当たり前でもなく、有り難く与えてもらっているものだと理解したのは割と最近のことだ。

 

社会人になるとお金にシビアになる。

 

特に社内や、客先を見るとコストダウンや節約、倹約の雰囲気が漂う。

 

どこまで線引きをするのか、そこも大切なのではないだろうか。

 

物を買い叩くことやセールやディスカウントストアでしか物を買わないとデフレはいつまでも続いていく。

 

良いものを適正価格で購入することが一番望ましい。

 

この安けりゃ良しという風潮は自らで少しずつ首を絞めていることの裏返しかもしれない。

 

そういう私は切符すら定価で買わないな…

 

節約してなんぼ。

 

1年後の話から逸れに逸れてしまった。

1年後には仕事の楽しみが分かってるといいなぁ。

 

ダメだったら資格なりを取っておこうか。

社会人て何だかんだで大変

学生時代なら、合わないタイプの人とは関わらない、もしくは最低限の付き合いで済むけれど、社会人になるとそうもいくまい。

 

ましてや小企業に勤める私は社員の好き嫌いをもろに感じながら仕事をしている。

 

 今日はその日頃、溜まりに溜まった愚痴やストレスを発散してもらうべく、焼き肉を食べに行った。

 

 結論から言うと、ストレスの溜めすぎはダメ絶対!!

 

それくらいだろうか。

私は入社して3ヶ月を迎えるからまだ社内のことを全然把握していないが、誰がどうとか、AとCの仲が最悪とか正直あまり興味がない。

 

確かに円滑に社内を回すためには関係者の情報は必要不可欠かもしれないが、

そんな深くのことを知る前に仕事の1つや2つを覚えねばと思う所存である。

 

まぁ、愚痴を聞いててその人が大変なのは何となく分かるが、

そこまで溜まる理由は何なのだろうか?

→人より繊細

これは大いにあり得る。傷つきやすいもしくは要らぬところまで目が行ってしまう。

 

→他に話す人がいない。

その可能性は低い。ただ、職場においてその話をできる人が少ないのはあるのかもしれない。

 

 それぞれの我慢や憤懣やるかたないことがたまりに溜まった結果、会社で爆発されるより愚痴で溢してもらうほうがまだましなのかもしれない。

 

でも、もし板挟みなら余計大変だよね。

なんて思いつつそんな軋轢に揉まれてない私は幸せなのかもしれない。

 

われ、そこに在り

今日はとにかく暇だった。

 

することがないとはここまで苦痛か

というくらいに無の時間が流れていた。

 

それでなくとも大概のサラリーマンが憂鬱の月曜日。

 

自分でもこれ、何の時間なんと思うほど仕事がなかった。

 

ときたま出た電話においては企業名が聞き取れないし、

取り敢えず聞き直して嫌な声は聞こえないので、それが唯一の救いだった。

 

これほど暇なときはこれでもかと言うほどパソコンとにらめっこしている。

 

そうしても時間は経たないし、目だけが疲労を訴えてくる。

 

これではまるで「人在」ではなかろうか。

 

われ、ここに在り。

 

しかし、仕事はない。

 

私がそこにいるだけである。

 

仕事も程々に忙しい方が楽しい。

 

疲労の度合いも違う気がする。

 

心地よい疲労と惰性的な疲労。

 

同じ時間、働いているのに全然違う。

 

 これから暇なとき、何しようか…