1年後

来年の今ごろは一体何をしているんだろうか?

 

営業として、色々な企業を訪問して売上の成績を伸ばしているのだろうか。

 

泣かず飛ばずで愛想をつかされているのだろうか。

 

思い返してみると、決して楽な就職活動ではなく、様々な経験をしたわけだが、

 

いざ、働きだしてみると社会人がどのようにしてお金を頂いているのかわかる部分も増えたが、

見えなくて良かった部分を見なければならないことも増えた。

 

父親は私にお金のことで心配や苦労をかけたことはなく、私も当然のことのように思っていた。

 

ただ、そんなことは当たり前でもなく、有り難く与えてもらっているものだと理解したのは割と最近のことだ。

 

社会人になるとお金にシビアになる。

 

特に社内や、客先を見るとコストダウンや節約、倹約の雰囲気が漂う。

 

どこまで線引きをするのか、そこも大切なのではないだろうか。

 

物を買い叩くことやセールやディスカウントストアでしか物を買わないとデフレはいつまでも続いていく。

 

良いものを適正価格で購入することが一番望ましい。

 

この安けりゃ良しという風潮は自らで少しずつ首を絞めていることの裏返しかもしれない。

 

そういう私は切符すら定価で買わないな…

 

節約してなんぼ。

 

1年後の話から逸れに逸れてしまった。

1年後には仕事の楽しみが分かってるといいなぁ。

 

ダメだったら資格なりを取っておこうか。

社会人て何だかんだで大変

学生時代なら、合わないタイプの人とは関わらない、もしくは最低限の付き合いで済むけれど、社会人になるとそうもいくまい。

 

ましてや小企業に勤める私は社員の好き嫌いをもろに感じながら仕事をしている。

 

 今日はその日頃、溜まりに溜まった愚痴やストレスを発散してもらうべく、焼き肉を食べに行った。

 

 結論から言うと、ストレスの溜めすぎはダメ絶対!!

 

それくらいだろうか。

私は入社して3ヶ月を迎えるからまだ社内のことを全然把握していないが、誰がどうとか、AとCの仲が最悪とか正直あまり興味がない。

 

確かに円滑に社内を回すためには関係者の情報は必要不可欠かもしれないが、

そんな深くのことを知る前に仕事の1つや2つを覚えねばと思う所存である。

 

まぁ、愚痴を聞いててその人が大変なのは何となく分かるが、

そこまで溜まる理由は何なのだろうか?

→人より繊細

これは大いにあり得る。傷つきやすいもしくは要らぬところまで目が行ってしまう。

 

→他に話す人がいない。

その可能性は低い。ただ、職場においてその話をできる人が少ないのはあるのかもしれない。

 

 それぞれの我慢や憤懣やるかたないことがたまりに溜まった結果、会社で爆発されるより愚痴で溢してもらうほうがまだましなのかもしれない。

 

でも、もし板挟みなら余計大変だよね。

なんて思いつつそんな軋轢に揉まれてない私は幸せなのかもしれない。

 

われ、そこに在り

今日はとにかく暇だった。

 

することがないとはここまで苦痛か

というくらいに無の時間が流れていた。

 

それでなくとも大概のサラリーマンが憂鬱の月曜日。

 

自分でもこれ、何の時間なんと思うほど仕事がなかった。

 

ときたま出た電話においては企業名が聞き取れないし、

取り敢えず聞き直して嫌な声は聞こえないので、それが唯一の救いだった。

 

これほど暇なときはこれでもかと言うほどパソコンとにらめっこしている。

 

そうしても時間は経たないし、目だけが疲労を訴えてくる。

 

これではまるで「人在」ではなかろうか。

 

われ、ここに在り。

 

しかし、仕事はない。

 

私がそこにいるだけである。

 

仕事も程々に忙しい方が楽しい。

 

疲労の度合いも違う気がする。

 

心地よい疲労と惰性的な疲労。

 

同じ時間、働いているのに全然違う。

 

 これから暇なとき、何しようか…

 

就活の振り返りとその後

これは就活が終わらず、少しばかりの不安と焦り、不甲斐なさが入り交じった時に書いた話です。

 

当時は就活の持ち玉も少なくなってきて、選考結果も待っている時期でもあり、さらに周りもぼちぼち就職先が決まり始めたころだった。

 

今となっては、現在働いている企業に勤めるなんて全く考えもしていなかったし、企業の存在すら知らなかった。

 

そう思うと、当時書いていた文章も一理あるのかもしれない。

 

「結果待ちの状況で日々帳を書く気にあまりなれず、ぼんやりしていたらいつの間にやら7月に入っていた。もう内定を貰った友人も複数いる中で私だけが取り残されたような気持ちも芽生え始めている。」

 

この文章だけで苦戦していた就活の情景が脳裏をかすめていく。

 

「そんなことはもとより、電車の車内で私はぼんやりと人生は片道切符の電車のようだと考えた。単線の道のりではなく、人生の転機には、何本もの分かれ道が存在するターミナル駅のようだが、戻ることはできない。」

 

我ながら臭いことを書いているものだが、あながち誤ってもいないと思う。

 

「目的地は死ぬまで分からない。端から見ると成功者や優秀な人の人生は輝いているかもしれないが、実際には脱線あり、急勾配ありの試練続きの人生の道のりなのかもしれない。」

 

楽な道のりは1つもないのかもしれない。

寧ろ就職した今後の方が、分かれ道を選択することになるかもしれない。

 

「電車の場合は乗るものを違わない限り目的地に着くが、人生はそうも行かず、全く関係ない場所に到着するかもしれないし、遠回りして着くかもしれない。」

 

だからこそ人生は楽しいことがあり、辛いこと、悔しいこと悲しいこともあるのだろう。

 

その時に選んだ道が成否を分けるのではない。

 

その道を選んだ後の行動が成否につながるのではないだろうか。

 

就活は、今思うともっと楽しめば良かった。

 

働く場所を選ぶのだ。ただ、一生に一度のものではない、選択を誤ったのならまた選択し直したら良いのでは。

 

今の夢は新たな収入源だ。

 

大丈夫か、この新人は(笑)

ウィンカー音と沈黙、そして距離感

なんてことを思いつつ、上司と乗る車内で、お互いが沈黙を破ることはなかった。

 

静謐な空間のなか、ウィンカーだけが、ある一定のリズムを刻んで信号待ちをしていた。

 

私は沈黙が嫌いなわけではない。

 

むしろ好きな部類に入るかもしれない。

 

ただ、どこまで踏み込んでよい関係なのか分からない時には、敢えて私から話のネタを振るようなことはしない。

 

そう、仲良しこよしではダメなのだ。

 

何せ相手は上司。

 

距離感を掴みきれない。

 

そんな具合がちょうど良いのではないだろうか。

 

近づきすぎず、遠すぎず。

 

ただ、10歳程年上の方と友人関係になりたい気持ちもある。

 

利害関係がなく、ある程度腹を割って話せる間柄に。

 

どうしたらそのような世代の違う方と友人になれるのだろうか。

 

価値観や考え、人生経験も異なる様々な人と色々な話をしてみたい。

 

話が逸れていったが、車内での沈黙、好きかそれとも嫌いかどちらにあてはまる?

 

 

 

日本の変な慣行と思ったこと

髪の毛は黒、髭は剃って。

 

鞄の色もおとなしい色目のもの。

 

どこにもそんな文言は書かれていないのに、当たり前のようにそれを守る。

 

…良いことなのか…

 

外国人の先輩は日本はこうしたところが厳しいと言っていた。

 

確かにそうかもしれない。

 

何にも考えなくてもスーツを着ていくし、黒の鞄を選ぶ。

 

就活の時なんて、季節がいくつ過ぎようともジャケットにスーツ。

 

確かにクールビズでお越し下さいとはかいてあるもののラフな格好でとは書いていない。

 

どうせ服装も見られるんだろと思うと無難にフル装備で行っていた。

 

周りも変わらず同じような格好。

 

むしろ安心感すら与えてくれる気がした。

 

でも、今思い返してみると、考える力が麻痺していたのかもしれない。

 

服装だけでは見られない。中身が大事。

 

没個性してしまうかもしれない。

 

同調圧力は少し怖い。

 

無意識の内に相手や周囲に同一を強調してくる。

 

先ほどの先輩はこうも言っていた。

 

「これだけ皆同じだと、リーダーが生まれないね。個性やオリジナリティもない。」

 

ある種、平和ボケや単一民族だけの弊害なのかもしれない。

イライラしてても平常運転で。

予定通りのバスが来ない。

 

これだと予定していた時間に間に合わないかもしれない。

 

5分遅れでやってきたバスに乗ってそんなことを思いつつ、揺られていた。

 

次のバス停で人を押し退け席を目指すご婦人。

 

その次のバス停では、奥に座って降りる準備もせず、慌てる学生。

 

少しずつ、フラストレーションが溜まってく。

 

そのイライラが募る時こそ冷静に平常運転を心がける。

 

バスだって、自分一人のものではない。

 

急いでいる人は皆おなじ。

 

一本余裕のあるバスに自分が乗ればよかったのだ。

 

少しの余裕は大変大事だ。

 

余裕を失い、焦りや憤りが溜まってくるとロクなことになりゃしない。

 

その負の連鎖がぐるぐる巡ってループから抜け出せない。

 

そして泥沼に、はまるのかもしれない。

 

ちょっと自分の思う通りに事が進まなくても、それが当然。世の理。

 

そういう時は「ま、こういう時もあるよね」と頭を切り替え、その状況を楽しむことだって大切だ。

 

もちろん、約束の時間に間に合わないことがあれば、事前に断りや謝罪を入れておけば、それ程大きな傷にはなるまい。

 

イライラが募ると、適切な判断もできなくなるかもしれない。

 

だから、もう一度。

 

イライラしてる時こそ冷静に。

頭を冷やして適切に動く。