就活の振り返りとその後

これは就活が終わらず、少しばかりの不安と焦り、不甲斐なさが入り交じった時に書いた話です。

 

当時は就活の持ち玉も少なくなってきて、選考結果も待っている時期でもあり、さらに周りもぼちぼち就職先が決まり始めたころだった。

 

今となっては、現在働いている企業に勤めるなんて全く考えもしていなかったし、企業の存在すら知らなかった。

 

そう思うと、当時書いていた文章も一理あるのかもしれない。

 

「結果待ちの状況で日々帳を書く気にあまりなれず、ぼんやりしていたらいつの間にやら7月に入っていた。もう内定を貰った友人も複数いる中で私だけが取り残されたような気持ちも芽生え始めている。」

 

この文章だけで苦戦していた就活の情景が脳裏をかすめていく。

 

「そんなことはもとより、電車の車内で私はぼんやりと人生は片道切符の電車のようだと考えた。単線の道のりではなく、人生の転機には、何本もの分かれ道が存在するターミナル駅のようだが、戻ることはできない。」

 

我ながら臭いことを書いているものだが、あながち誤ってもいないと思う。

 

「目的地は死ぬまで分からない。端から見ると成功者や優秀な人の人生は輝いているかもしれないが、実際には脱線あり、急勾配ありの試練続きの人生の道のりなのかもしれない。」

 

楽な道のりは1つもないのかもしれない。

寧ろ就職した今後の方が、分かれ道を選択することになるかもしれない。

 

「電車の場合は乗るものを違わない限り目的地に着くが、人生はそうも行かず、全く関係ない場所に到着するかもしれないし、遠回りして着くかもしれない。」

 

だからこそ人生は楽しいことがあり、辛いこと、悔しいこと悲しいこともあるのだろう。

 

その時に選んだ道が成否を分けるのではない。

 

その道を選んだ後の行動が成否につながるのではないだろうか。

 

就活は、今思うともっと楽しめば良かった。

 

働く場所を選ぶのだ。ただ、一生に一度のものではない、選択を誤ったのならまた選択し直したら良いのでは。

 

今の夢は新たな収入源だ。

 

大丈夫か、この新人は(笑)

ウィンカー音と沈黙、そして距離感

なんてことを思いつつ、上司と乗る車内で、お互いが沈黙を破ることはなかった。

 

静謐な空間のなか、ウィンカーだけが、ある一定のリズムを刻んで信号待ちをしていた。

 

私は沈黙が嫌いなわけではない。

 

むしろ好きな部類に入るかもしれない。

 

ただ、どこまで踏み込んでよい関係なのか分からない時には、敢えて私から話のネタを振るようなことはしない。

 

そう、仲良しこよしではダメなのだ。

 

何せ相手は上司。

 

距離感を掴みきれない。

 

そんな具合がちょうど良いのではないだろうか。

 

近づきすぎず、遠すぎず。

 

ただ、10歳程年上の方と友人関係になりたい気持ちもある。

 

利害関係がなく、ある程度腹を割って話せる間柄に。

 

どうしたらそのような世代の違う方と友人になれるのだろうか。

 

価値観や考え、人生経験も異なる様々な人と色々な話をしてみたい。

 

話が逸れていったが、車内での沈黙、好きかそれとも嫌いかどちらにあてはまる?

 

 

 

日本の変な慣行と思ったこと

髪の毛は黒、髭は剃って。

 

鞄の色もおとなしい色目のもの。

 

どこにもそんな文言は書かれていないのに、当たり前のようにそれを守る。

 

…良いことなのか…

 

外国人の先輩は日本はこうしたところが厳しいと言っていた。

 

確かにそうかもしれない。

 

何にも考えなくてもスーツを着ていくし、黒の鞄を選ぶ。

 

就活の時なんて、季節がいくつ過ぎようともジャケットにスーツ。

 

確かにクールビズでお越し下さいとはかいてあるもののラフな格好でとは書いていない。

 

どうせ服装も見られるんだろと思うと無難にフル装備で行っていた。

 

周りも変わらず同じような格好。

 

むしろ安心感すら与えてくれる気がした。

 

でも、今思い返してみると、考える力が麻痺していたのかもしれない。

 

服装だけでは見られない。中身が大事。

 

没個性してしまうかもしれない。

 

同調圧力は少し怖い。

 

無意識の内に相手や周囲に同一を強調してくる。

 

先ほどの先輩はこうも言っていた。

 

「これだけ皆同じだと、リーダーが生まれないね。個性やオリジナリティもない。」

 

ある種、平和ボケや単一民族だけの弊害なのかもしれない。

イライラしてても平常運転で。

予定通りのバスが来ない。

 

これだと予定していた時間に間に合わないかもしれない。

 

5分遅れでやってきたバスに乗ってそんなことを思いつつ、揺られていた。

 

次のバス停で人を押し退け席を目指すご婦人。

 

その次のバス停では、奥に座って降りる準備もせず、慌てる学生。

 

少しずつ、フラストレーションが溜まってく。

 

そのイライラが募る時こそ冷静に平常運転を心がける。

 

バスだって、自分一人のものではない。

 

急いでいる人は皆おなじ。

 

一本余裕のあるバスに自分が乗ればよかったのだ。

 

少しの余裕は大変大事だ。

 

余裕を失い、焦りや憤りが溜まってくるとロクなことになりゃしない。

 

その負の連鎖がぐるぐる巡ってループから抜け出せない。

 

そして泥沼に、はまるのかもしれない。

 

ちょっと自分の思う通りに事が進まなくても、それが当然。世の理。

 

そういう時は「ま、こういう時もあるよね」と頭を切り替え、その状況を楽しむことだって大切だ。

 

もちろん、約束の時間に間に合わないことがあれば、事前に断りや謝罪を入れておけば、それ程大きな傷にはなるまい。

 

イライラが募ると、適切な判断もできなくなるかもしれない。

 

だから、もう一度。

 

イライラしてる時こそ冷静に。

頭を冷やして適切に動く。

 

人となりと学歴

就活では学歴って大事かなとぼんやりと考えていた。

 

実際にはその肩書きで判断されたこともあるだろうし、面接で私の力不足が見極められたこともあって落とされたのもあるだろう。

 

つい最近まで主婦の方とアルバイトをしていて、どこの大学とか、出身高校はとか度々聞かれた。

 

その質問によって、私がどのような学力を持っているのかということは推し量れると思うが、人となりや価値観、個性といったものはまるで分からない。

 

そしてその質問によって私は△△高校出身の○○の大学生というレッテルが貼られる気がする。

 

これはあくまで私の憶測だが、ある程度の人ならそうした質問で所謂「賢い」、「あほ」ということだけでなく、個性までも決めつけてしまうかもしれない。

 

私も就活などで有名大学の学生と面接が同じになると萎縮してしまっていたり、ついてないなと思ってしまっていたりした。その時点で学生の中身ではなく、大学名という外面で判断していたのだ。

 

今に始まったことではない、この学歴社会においては個人の見方を変えることは難しいかもしれない。

 

社会にでると「○○会社」の社員という色眼鏡に変わるのかもしれない。

 

人は見かけによらない。

 

やんちゃしてそうな人でもお医者さんだったり、反対に医学部生でも乱暴したりするといったことは実際にあるのだ。

 

だけど、学歴で判断されてしまう、或いは私も相手を学歴というフィルターで判断してしまうことがあるのかもしれない。

 

大切なのはその人と向き合って一面一面、じっくりと見ていくことだ。

 

 

とか書いてたのだが、収入面では学歴格差というものが存在するらしい。

 

「学歴なんて関係ない」の真実 生涯賃金これだけ違う

http://style.nikkei.com/article/DGXMZO15805150X20C17A4000000?channel=DF080720160379&n_cid=LMNST011

 

まぁ、そういった意味での学歴は強みになるのかもしれないが、人となりも考慮されるであろう。

 

まぁ、友人や仲間と学歴云々は関係ない。

 

そう思いたい。

 

でも、うちの会社、ベアしてくれないかなぁー(笑)

 

話が逸れてしまった。

 

鼻にかけれるような学歴もないので、程々に頑張りますか。

 

賃金と学歴、シビアだなぁ 

通勤タックル

朝は闘いだ。

皆がみな、思い思いのポジションや、位置取りに感覚を研ぎ澄ませ、飛び込んで行く。

 

「発車間際の駆け込み乗車は大変危険です。次の電車をご利用下さい。」

などと電車の車掌は言うけれど、

当の本人はこの電車を逃すと遅刻してしまうかもしれないのだ。

 

それくらい本気のタックルだ。

 

あーぁ、そんなもの受けたくない受けたくない。

 

だから私は次の電車に乗る。

 

 

 

あれっ、それでも変わらないんじゃないの?

と思ってくださったそこのあなた!

 

実は次の電車はひとつ前の駅が始発なのだ。

 

さすがに座れはしないが、ぎゅうぎゅうに押し込まれることもなく、涼しい顔をして立っていられる。

 

なんなら隣のおじさまは優雅に新聞も広げられる位に。

 

それを逃すと出勤に間に合う有難い電車には遭遇しない。

 

今日はどんな方の通勤タックルが見れるのだろうか(笑) 

 

 

「駆け込みタックルは危険です。乗客はあなたのサンドバッグではございません。」みたいなアナウンスを少し聞いてみたい。

最近の昼休憩

最近、他部署の先輩がよく声をかけてくれる。

 

他愛もない話だが、その先輩は知的好奇心に溢れている。

たとえば

 

「何で鶏って有精卵と無精卵あるん?」

とか

 

「ご馳走さまとか頂きますって何が由来なん?」

といった雑学にも似たことを聞いてくる。

 

いやいや、わかりませんよと返しつつもそこに行き着く着眼点は思わず感心してしまう。

 

先輩はその知的欲求を満たすべく1日ひとつ

学んでいるらしい。

 

今日はなんだったっけな?

 

大気圏突入時に炎は出ないらしいということだった。

 

宇宙旅行に行った際にパラシュートなどでも着陸可能なのではないかという疑問だったはず。

 

あと、これは解明されてないのがわかったのだが、なぜ重力が存在しているのか、ということにも疑問を持っていた。

 

確かに言われてみると気にはなるものの、

私だとそこまで行き着かず、見落としてしまうだろう。

 

 

 恐るべし、好奇心。

もう少しアンテナ張ってみるか!