日本の変な慣行と思ったこと

髪の毛は黒、髭は剃って。

 

鞄の色もおとなしい色目のもの。

 

どこにもそんな文言は書かれていないのに、当たり前のようにそれを守る。

 

…良いことなのか…

 

外国人の先輩は日本はこうしたところが厳しいと言っていた。

 

確かにそうかもしれない。

 

何にも考えなくてもスーツを着ていくし、黒の鞄を選ぶ。

 

就活の時なんて、季節がいくつ過ぎようともジャケットにスーツ。

 

確かにクールビズでお越し下さいとはかいてあるもののラフな格好でとは書いていない。

 

どうせ服装も見られるんだろと思うと無難にフル装備で行っていた。

 

周りも変わらず同じような格好。

 

むしろ安心感すら与えてくれる気がした。

 

でも、今思い返してみると、考える力が麻痺していたのかもしれない。

 

服装だけでは見られない。中身が大事。

 

没個性してしまうかもしれない。

 

同調圧力は少し怖い。

 

無意識の内に相手や周囲に同一を強調してくる。

 

先ほどの先輩はこうも言っていた。

 

「これだけ皆同じだと、リーダーが生まれないね。個性やオリジナリティもない。」

 

ある種、平和ボケや単一民族だけの弊害なのかもしれない。

イライラしてても平常運転で。

予定通りのバスが来ない。

 

これだと予定していた時間に間に合わないかもしれない。

 

5分遅れでやってきたバスに乗ってそんなことを思いつつ、揺られていた。

 

次のバス停で人を押し退け席を目指すご婦人。

 

その次のバス停では、奥に座って降りる準備もせず、慌てる学生。

 

少しずつ、フラストレーションが溜まってく。

 

そのイライラが募る時こそ冷静に平常運転を心がける。

 

バスだって、自分一人のものではない。

 

急いでいる人は皆おなじ。

 

一本余裕のあるバスに自分が乗ればよかったのだ。

 

少しの余裕は大変大事だ。

 

余裕を失い、焦りや憤りが溜まってくるとロクなことになりゃしない。

 

その負の連鎖がぐるぐる巡ってループから抜け出せない。

 

そして泥沼に、はまるのかもしれない。

 

ちょっと自分の思う通りに事が進まなくても、それが当然。世の理。

 

そういう時は「ま、こういう時もあるよね」と頭を切り替え、その状況を楽しむことだって大切だ。

 

もちろん、約束の時間に間に合わないことがあれば、事前に断りや謝罪を入れておけば、それ程大きな傷にはなるまい。

 

イライラが募ると、適切な判断もできなくなるかもしれない。

 

だから、もう一度。

 

イライラしてる時こそ冷静に。

頭を冷やして適切に動く。

 

人となりと学歴

就活では学歴って大事かなとぼんやりと考えていた。

 

実際にはその肩書きで判断されたこともあるだろうし、面接で私の力不足が見極められたこともあって落とされたのもあるだろう。

 

つい最近まで主婦の方とアルバイトをしていて、どこの大学とか、出身高校はとか度々聞かれた。

 

その質問によって、私がどのような学力を持っているのかということは推し量れると思うが、人となりや価値観、個性といったものはまるで分からない。

 

そしてその質問によって私は△△高校出身の○○の大学生というレッテルが貼られる気がする。

 

これはあくまで私の憶測だが、ある程度の人ならそうした質問で所謂「賢い」、「あほ」ということだけでなく、個性までも決めつけてしまうかもしれない。

 

私も就活などで有名大学の学生と面接が同じになると萎縮してしまっていたり、ついてないなと思ってしまっていたりした。その時点で学生の中身ではなく、大学名という外面で判断していたのだ。

 

今に始まったことではない、この学歴社会においては個人の見方を変えることは難しいかもしれない。

 

社会にでると「○○会社」の社員という色眼鏡に変わるのかもしれない。

 

人は見かけによらない。

 

やんちゃしてそうな人でもお医者さんだったり、反対に医学部生でも乱暴したりするといったことは実際にあるのだ。

 

だけど、学歴で判断されてしまう、或いは私も相手を学歴というフィルターで判断してしまうことがあるのかもしれない。

 

大切なのはその人と向き合って一面一面、じっくりと見ていくことだ。

 

 

とか書いてたのだが、収入面では学歴格差というものが存在するらしい。

 

「学歴なんて関係ない」の真実 生涯賃金これだけ違う

http://style.nikkei.com/article/DGXMZO15805150X20C17A4000000?channel=DF080720160379&n_cid=LMNST011

 

まぁ、そういった意味での学歴は強みになるのかもしれないが、人となりも考慮されるであろう。

 

まぁ、友人や仲間と学歴云々は関係ない。

 

そう思いたい。

 

でも、うちの会社、ベアしてくれないかなぁー(笑)

 

話が逸れてしまった。

 

鼻にかけれるような学歴もないので、程々に頑張りますか。

 

賃金と学歴、シビアだなぁ 

通勤タックル

朝は闘いだ。

皆がみな、思い思いのポジションや、位置取りに感覚を研ぎ澄ませ、飛び込んで行く。

 

「発車間際の駆け込み乗車は大変危険です。次の電車をご利用下さい。」

などと電車の車掌は言うけれど、

当の本人はこの電車を逃すと遅刻してしまうかもしれないのだ。

 

それくらい本気のタックルだ。

 

あーぁ、そんなもの受けたくない受けたくない。

 

だから私は次の電車に乗る。

 

 

 

あれっ、それでも変わらないんじゃないの?

と思ってくださったそこのあなた!

 

実は次の電車はひとつ前の駅が始発なのだ。

 

さすがに座れはしないが、ぎゅうぎゅうに押し込まれることもなく、涼しい顔をして立っていられる。

 

なんなら隣のおじさまは優雅に新聞も広げられる位に。

 

それを逃すと出勤に間に合う有難い電車には遭遇しない。

 

今日はどんな方の通勤タックルが見れるのだろうか(笑) 

 

 

「駆け込みタックルは危険です。乗客はあなたのサンドバッグではございません。」みたいなアナウンスを少し聞いてみたい。

最近の昼休憩

最近、他部署の先輩がよく声をかけてくれる。

 

他愛もない話だが、その先輩は知的好奇心に溢れている。

たとえば

 

「何で鶏って有精卵と無精卵あるん?」

とか

 

「ご馳走さまとか頂きますって何が由来なん?」

といった雑学にも似たことを聞いてくる。

 

いやいや、わかりませんよと返しつつもそこに行き着く着眼点は思わず感心してしまう。

 

先輩はその知的欲求を満たすべく1日ひとつ

学んでいるらしい。

 

今日はなんだったっけな?

 

大気圏突入時に炎は出ないらしいということだった。

 

宇宙旅行に行った際にパラシュートなどでも着陸可能なのではないかという疑問だったはず。

 

あと、これは解明されてないのがわかったのだが、なぜ重力が存在しているのか、ということにも疑問を持っていた。

 

確かに言われてみると気にはなるものの、

私だとそこまで行き着かず、見落としてしまうだろう。

 

 

 恐るべし、好奇心。

もう少しアンテナ張ってみるか!

 

微笑ましい会話

とある帰り道、晩ごはんを食べに入ったラーメン屋で、こんな会話を耳にした。

 

「Aくんはな、優しいとか、かっこいいとか、足速いとか、皆からそれぞれ言われてるのに、僕はな、明るい、楽しい、明るい、明るい、楽しい。おんなじことばっかり言われるねん。ぐすん」

 

恐らく、児童のいいところを言い合う時間だったのだろう。

 

その子にとっては、自身に取り柄の少ないと周りから見られているのではないかと思ったと考えられる。

 

隣でそれを聞いていた母親は少年を宥めるというか誉めるような口調でこう言った。

 

「めっちゃええやん。そんな楽しいとか明るいとか言われて。明るく楽しい人生送れてるってことやん。そんな幸せな人生なんてそうそうないよ!」

 

なんと、率直な言葉、かつ明朗な口調で子供の不安を一蹴する母親なんだろうと思ってしまった。

 

子供だけでなく、今の世の中の雰囲気としても、周りの目を気にして生活せざるを得ない空気がどんよりと漂っている気がする。

 

子供は敏感だから、余計に気にしてしまうのかもしれない。

 

ただ、人と同じように迎合してしまうと流れに乗るようで容易に思えるかもしれないが、周りにも無意識的に同調圧力をかけてしまうかもしれない。

 

同じ方が楽だと、多様性が受け入れられなくなってしまう。

 

極端な話へ脱線してしまったが、今日の出来事から隣のお母さんの考えの転換が鮮烈だなと感心してしまった話だった。

 

明るく楽しい人生目指して、明日もがんばろ‼ 

 

 

 

 

明日からの5日間

GWも最終盤、もういくつ寝ると、出勤日。

 

なんて思っていたのも束の間。

 

明日から5日間、みっちりと働かなければいけない。

 

休みが終われば、働かざるを得ない。

 

 

例え、働きたくなくとも。

 

働かなくて、収入があって、ご飯にも困らないのなら別に働かなくともいいと思うが、

私はそんな「働かない」という選択肢を持ち合わせていない。

 

だから、明日から働くのだ。

 

休みは刻一刻と過ぎ去っていく。

 

例え、今目の前に可愛い彼女とデートしていたとしても。

 

例え、日本の原風景のような田舎にいたとしても。

 

例え、家でだらだらとネットサーフィンしていたとしても。

 

 

明日から仕事。労働。出勤。それは避けられない。

 

働くとは一体なんだ。何なんだ。

 

こんな労働に対する意味の無いような逃避的な考えをしていても時間は流れていく。

 

話は逸れるが、時間もループのようにならないのだろうか。

 

小学生のころはずっと今のまま、変わらない、年も取らない、年末年始からループするとそんなことばかり考えていた。

 

まぁ、そんな異次元にはならないのだろう。

 

無意味なことばかりふけっていても、休みは過ぎていく。

 

また、来年のGWも楽しめるといいなと思いつつ、今年のGWとはお別れしていくのだ。

 

さよなら、GW。

 

また会おう。