ゴールデンウイーク症候群

春の花も主役を桜から、ツツジへと変えて新社会人もぼちぼち新しい環境に慣れてくる頃合い。

 

毎年、花粉に悩まされる季節を耐えながら、4月も下旬を迎えると、例の連休をまだかまだかと待ち望んでいる私がいるのだ。

 

この季節が一番好きだ。

暑すぎることもなく、寒すぎることもなく、日中に少し汗ばむくらいで日陰は心地よい風が吹く、この5月という気候とそして大型連休。

 

連休だからといって、特にすることもないのだが、社会人には有給休暇というカードを切ってしまえば9連休にだってできるのだ。夏のお盆休暇や年末年始休暇よりも長い今年一番の連休である。

 

しかし、この大型連休が終われば夏まで連休は来ない。仕事地獄である。行きたくない客先、トラブル対応、溜まるストレス、エトセトラ。

 

過ぎてしまえば一瞬の連休で、休まる気もしなくはないが、時間を浪費してしまいそうで怖気づく。

 

そういや、4年前の10連休に北海道行ったなぁ…えっ、あれからもう4年も経つの。

そろそろ家出る準備しよ。そろそろ…ね。

 

今年の大型連休は何しようかな、ひとまず旧交を温めたいところだ。大型連休後のことなんかはひとまず忘却の彼方へ放り投げて。

 

今と未来を楽しみたい、久しぶりにマスクを外した友人たちと語り合えるのだから。

「〇〇がい」ってなんだ…

最近、よく耳にする「〇〇がい」

例えば、

生きがい

働きがい

やりがい

…帆立貝は、違うと。

 

私自身があまり主体性を持って生きてきていないからか、これらの言葉に刺さることはあっても、どんなことなのか自分ごととして捉えられていない。

 

だからこそ困っているのかもしれない。

戸惑っているのかもしれない。

 

何に生きがいを見出すのか。

どこに働きがいを認めるのか。

仕事かプライベートか、その他にやりがいを覚えるのか。

 

私はまだそのどれも見つけられていないし、味わえていないのかもしれない。

 

どうしたらいいんだろう。

 

いつも崖に集まってるペンギンだとしたら、私は最後方でまだエサ探さんでも大丈夫でしょと余裕をこいて、結局は皆の狩りが終わりそうな頃にオドオドしてるのだ。

 

えー。まだ魚獲ってないよ。

どうしよー、食わなくてもいける?いけるやつでしょ。一日くらい食事抜いても大丈夫よ。

なんて虚勢張って後々、痛く悔いる事になる。

 

いわゆる、ゆでガエルのような状態だ。

大学までは皆と同じような轍に沿って歩んできたが社会人になると、轍は無くなり眼前に広がるのは草原か砂漠かはたまた高山か。先人の歩みはないのだ。自らの人生は自分で切り開いていくしかない。

 

頭では分かっている。しかし、動くまで持っていけない。

 

そんな中で「〇〇がい」なんて得られるのか。

そろそろ自らの殻を破って一歩、踏み出す時なのかもしれない。

まだ我慢のとき

意識してないと1ヶ月なんてあっという間に過ぎてくけれど、意識をすると案外、時間の経過は長く感じる。

 

友人の結婚式もあと1ヶ月先、なんて思っていたけれど、気づいてみればもう終わって2週間程経つ。

 

式が始まる前には、楽しみな反面、その時の自分の感情の読めなさから少し不安な気持ちになったり、立ち居振る舞いがマナー違反になってないか、失礼な言動はしないかそんなところも気になってしまったりしていた。

 

式や披露宴を通じて、友達はいつの間にか自分で人生の選択をして大人になっていったんだな、なんて事も思いつつ、披露宴の最中に夫婦仲睦まじい様子を見て月並みに末永くこの笑顔で優しい雰囲気のまま歩んでほしいとも思った。

 

はてさて、私はどうなのだろう。

コロナ禍に外出も減ってのんべんだらりと過ごす時間が格段に増えた。

 

今までもそこまで活発では無かったものの、気兼ねなく外出するのも躊躇われる状況では、新しく事を始めるのも些か簡単ではなかった。

 

今できることをしっかりしていこうという性格のためか新しく挑戦するのに中々踏ん切りがつかないというか、物事を始めるのにどうしても時間がかかる。気づけば時間だけが空費して自己嫌悪してしまうこともあるのだが、中々変えられない部分の一つである。

 

そんな現状把握と自己分析をして今後の自分をどうしていくのか、どうしていきたいのかを相談しつつ着実に歩を進めたい。

 

時には立ち止まっても良い。後退りしたって良い。やり直しがきかないなんてことはないけど、しない後悔をいつまでもくよくよするよりも、した後悔もあった方が良いんじゃないか。

 

そんなこんなを考える秋の夜長。

 

トレンディな闖入者

残暑厳しい今日このごろ、皆様夏バテせずに頑張ってますか。。

 

ここ半年ほど、同じバス停で顔を合わす某芸人、によく似た風貌のおじさんがいる。

 

ここでは仮称「さいとうさん」と呼ぶことにする。

 

さいとうさんはバス停で会うたびに、いつも某芸人によく似てるなぁとしか思ってないくらいのおじさんだった。心の声で「さいとうさんだぞっ!」がリフレインしていた。

 

バスの中で私がカバンを置いてる横に、わざわざ彼のカバンを置いてくるのだ。さいとうさんは座ってるんだから、自分の膝に置きなさいよと思いながらも朝っぱらから面倒事に巻き込まれたくない私は黙っていた。

 

さいとうさんも僕のことをあまり快く思ってないのだろう。何となく険悪とまではいかないまでも、不穏な空気が二人の間に漂っていた。

 

後日、家を出て私がさいとうさんを見かけたとき、彼もまた私を認めて、やけに大股に歩き出したのだ。

いつもなら私は彼をそそくさと追い抜かしていくのだが、その日はさいとうさんもムキになっていたのだろう。

 

追い抜かれまいと必死に歩きに勤しんでいる。いや最早死ぬ気で歩いていて鼻息だけでなく、吐息もすごく、マスクをしているこちら側まで伝わってきた。

 

そして階段を駆け上がり、バス停まで100メートル足らず、そこでもさいとうさんと私は徒競走をやめずに競り合っていた。

傍から見たら、スーツを着たオッサン二人が競歩してるのだから、嫌に見苦しい。

 

残り30メートル、息も絶え絶えのさいとうさんが何とここからダッシュしたのだ。

 

私としてはおっさんが最後の力振り絞って走る、あのさいとうさん(激似)が走る光景を見て一気に興ざめしまった。

 

このおっさん、何をそこまで必死なんやろ。そしてかのさいとうさんはバス停に着くや否や、激しい息遣いのまま、小さな声で「よっしゃ!」と言い、笑顔を浮かべたのだった。

正直、激しく引いた。さいとうさんだけに。。

 

こんな令和3年の8月の終わりは嫌だ。。

七夕の願い

毎年この時期は雨がシトシト降り続く梅雨真っ只中で、水を含んだスラックスが肌に触れるたびに心地の悪さを実感させられる。

 

今日、7月7日は七夕で、年に一度織姫と彦星が天の川を渡って再会できる日だ。

 

ロマンチックな話だが、現実に置きかえてみたら結構酷な話である。

 

結ばれた相手と年に一回しか会えない…辛い…

 

そんな七夕の空を眺めてみたが、生憎の大雨でこちらから天の川を拝むことは出来なさそうだ。

 

−−−

話は少し逸れてしまうが、おばさんの会話って声が大きい。

 

耳が遠いのか、インパクトのある話をしたいのかどちらもなのか分からないが如何せんボリュームが大きいのだ。

 

久しぶりの再会でテンション上がったのか盛り上がり中のところすみませぬが、もう少しトーンダウンしてほしい。

−−−

 

今宵は七夕。

 

幼き頃に思いを馳せた、純粋な願いや夢をふと再考してみるのも良いかもしれない。

 

笹に短冊を結びつけて、叶えたい願いをのせて。

無の境地

はー、今週も何とか土曜日を迎えることが出来そうだ。

 

週末まで時が経てばこちらのもんだ、

はっはっ。

 

なんてことを思いながら今日も金曜の黄昏時、

帰りの電車に揺られている。

 

ここ数週間、仕事へのモチベーションとやらが著しく低下しており、体も心も働くことへの抵抗をしてくるのだ。

 

上手くいかない物事への対処や感情を消し去ること、どうしようもないもんだとは分かりつつもそこから逃避したい衝動に駆られる。

 

最近、久方ぶりに有給なるものを取得して心の充電を行った。

 

平日の昼間から買い物をしたり、海を眺めてぼんやり物思いに耽ったり、仕事を気にせず過ごせることは至福のひとときだった。

 

社会人になってから梅雨時の季節に弱くなった。学生の頃なら何ともなかったのに、しんどさを感じたり怠くなったりしやすくなった。

 

不調なときほど、悩みすぎずあっけらかんといきたいものだ。

 

後輩も入社して頑張ってくれてる。

先輩として頑張らなきゃとは思いつつも、辛さ弱さをさらけ出して等身大の自分を見てほしい。

 

気になる人にも近づけず、あたふたしてる情けない私は見てほしくはないけど。

 

今週も何とか乗り切った。

もうすぐ4連休がやってくる。

 

そこを楽しみに今をひたすら生きていく。

人との距離感

梅雨と同じようなどんよりとした気持ちになりながらも、過ぎゆく週末に後ろ髪を引かれている。

 

人との距離感が分からない。

好きになった人との距離感を測りかねている…

 

最近、少し接点があって話をする機会や、連絡することがあって仲良くなれてたのかななんて思っていた。

 

もっと仲良くなって、相手のことを知りたいなと話をした矢先、歯車が噛み合わなくなるように、金属疲労のような不協和音が聞こえた気がした。

 

私は相手の気持ちを推し量ることもできない、

盲目的な愚か者だったのだろうか。

 

連絡する頻度が少し増えて、相手からの返信にも期待して、下心が見透かされて避けられてしまったのだろうか。

 

仲良くなれたなんて思っていたのは

私だけで、ぬか喜びだったのかもしれない。

 

何とか二人で話す機会があれば、この関係性も私の戯れ言や思い込みだったんじゃないかと思いたかったのかもしれない。

 

ぬか喜びだなんて思いたくない気持ちと、実際の噛み合わなさと、自らの保身とを勘案すると、あまり連絡しない方が正解なのかな、なんて思ったり。

 

心理的、物理的な距離も遠のいて

離れていってしまうのはこの上なく辛い…

 

引きずり続けていても仕方ないから、

踏ん切りはつけなきゃいけないのは分かる。

 

何とか自分に「心を強く持って、克服」

なんてことを言い聞かせながら、

明日からの仕事の準備を進めていく、

 

6月って祝日ないし、雨多いし、

何かと憂鬱な日々だな、なんて思いながら…